庄内ほぼ1周

今日は午後から、庄内綱引連盟会長としての役割で、庄内町立川庁舎教育委員会、三川町役場教育委員会、鶴岡市櫛引庁舎教育委員会、酒田市中町庁舎教育委員会、遊佐町教育委員会の5箇所を回りました。ほぼ庄内を小さく1周したことになりますでしょうか。11月13日に開催を予定している「第20回庄内オープン綱引大会」のご後援を頂きたい旨の文書を持ってお願いに回ったものです。

まさに庄内平野は、実りの秋、黄金色の美しい風景が何処に行っても広がっています。中でも山形県が生んだブランド米の故郷、鶴岡市藤島地域では、ほ場にも「つや姫」の幟を立ててアピールしておりました。

山形県の誇るブランド米「つや姫誕生の地」鶴岡市藤島地域の田んぼ
山形県の誇るブランド米「つや姫誕生の地」鶴岡市藤島地域の田んぼ

 

日沿道秋田県境部分計画段階評価決定を祝う遊佐町役場の看板
日沿道秋田県境部分計画段階評価決定を祝う遊佐町役場の看板

 

酒田市平田地域の転作田ではそばの花が満開でした
酒田市平田地域の転作田ではそばの花が満開でした

南小運動会・3区街宣

8時半、南平田小学校グランドにて開催のスポーツフェスティバル(運動会)開会式に出席。心配した雨もあがり、爽やかな秋風の中で、元気一杯の子供たちが堂々の入場行進でした。開会式後は、1年生から6年生まで徒競走が行なわれました。追い風もあったようですが、何と4つも新記録が出たとのことでした。見ていてもこれは凄い走りだと思う子が何人もいました。

夏休み中も一生懸命準備した運動会のスタートです
夏休み中も一生懸命準備した運動会のスタートです

 

一年生徒競争、これは中々良い走りです記録期待できそう
一年生徒競争、これは中々良い走りです記録期待できそう

 

13時半、民主党3区事務所出発で震災から丁度半年目の今日9月11日被災地への応援と、永年お世話になった現在の街宣車が9月14日を最後に廃車になることから、感謝を込めての街頭宣伝活動に出発しました。常任幹事の方々に連絡はしていたはずなのですが、誰も来ないので寂しく一人の街宣となりました。それでも途中、友達と食事会の女房殿から写真を撮ってもらうことが出来ました。本当に久しぶりの街宣活動、多くの皆様方から声をかけて頂いたり、手を振って頂いたり、嬉しい限りでございました。

東日本大震災から半年、民主党政権の反省そしてスピードをもって復興に取組むことを訴えさせて頂きました
東日本大震災から半年、民主党政権の反省そしてスピードをもって復興に取組むことを訴えさせて頂きました

手をつなぐ育成会・Sea to Summit

13時、松山農村環境改善センターにて開催の「第32回庄内手をつなぐ育成会松山大会」に出席。「しょうがい児(者)と共に生きる地域社会をめざして」をテーマに開催された大会です。大会式典では、ステージ上に席を頂戴して来賓紹介を賜わりました。出席の皆様方の並々ならぬご尽力に衷心より経緯を評する次第でございます。式典後、記念講演の途中ではありましたが、次の予定のため14時半過ぎ中座。

第32回庄内手をつなぐ育成会松山大会
第32回庄内手をつなぐ育成会松山大会

16時、遊佐町鳥海温泉遊楽里にて開催の「Sea to Summit Mt.CHOKAI 2011環境シンポジウム」に参加。アウトドア用品製造販売では日本トップメーカーでありますモンベルとのタイアップで、海でカヌー、大地で自転車、山で登山の3種目をチームで競う(自然との対話重視でタイムを争うものではない)イベントの開会式及び環境シンポジウムが行なわれたものです。吉村美栄子山形県知事から出席頂き、ご挨拶をお願いした経過もあり、会場にて吉村知事をお迎え致しました。会場には遠くは大阪や京都など全国各地から300名を越える参加者が集ってくれました。

主催者挨拶、遊佐町長歓迎挨拶に続き、吉村知事から食の山形、美しい自然の山形を存分にアピールして頂きました。その後「鳥海の環境、水資源、食を全国そして世界へ発信」をテーマに、高橋英彦東北公益文科大学名誉教授のコーディネーターによりますパネルディスカッション、ボーカリストEPOさんのライブと続きました。

何と司会が和嶋未希衆議院議員とは驚きでした
何と司会が和嶋未希衆議院議員とは驚きでした

 

主催者挨拶をするNPO法人元気大国佐藤香奈子代表と辰野勇モンベルグループ代表
主催者挨拶のNPO法人元気大国佐藤香奈子代表と辰野勇モンベルグループ代表

 

歓迎の挨拶を述べる地元遊佐町時田町長
歓迎の挨拶を述べる地元遊佐町時田町長

 

休日返上でわざわざおいで下さり山形県を代表しての歓迎のご挨拶を述べて下さった吉村美栄子山形県知事
休日返上でわざわざおいで下さり山形県を代表しての歓迎のご挨拶を述べて下さった吉村美栄子山形県知事

 

パネルディスカッションコーディネーター高橋英彦東北公益文科大学名誉教授
パネルディスカッションコーディネーター高橋英彦東北公益文科大学名誉教授

 

素晴らしい歌声を聞かせて下さったEPOさんのライブ
素晴らしい歌声を聞かせて下さったEPOさんのライブ

酒田へ移動・反省会

7時過ぎゆっくり起床、8時半遅めの朝食、それでも25階のレストランは超満員、改めてここは東京なのだと思いました。10時にチェックアウトしカーナビを「自宅に帰る」にセットして帰路につきました。首都高をゆっくり走りながら、来るたびに新しいビルが出来ているような気がして、東京一極集中の流れは中々変っていないことを、つくづく感じながら都会に住めない田舎者は、自然豊かな故郷に帰るのが一番と改めて思ったところです。

那須高原サービスエリアで昼食。その後少し走ったのですが、眠気に誘われ、運転を女房殿に任せて後部座席にて就寝。何と目が覚めたときは山形道に入っていました。その後も順調に走り、ほぼ予定通りの16時50分自宅到着。

18時、ふれあい茶屋つたやにて開催の商工会有志研修旅行反省会に出席。1名欠席でしたが、四万十川のウナギを思い出しながら、話は既に来年の行き先について盛り上がったところです。

息子と再会

6時、仮眠が仮眠でなくなってしまい何と外はすっかり賑やかになっていました。今回は何と布団を準備して後部座席を倒して、布団を敷いての仮眠でしたので、これが中々の寝心地だったのでありまして、仮眠どころか本格睡眠になってしまったものと思います。歯を磨き、顔を洗い、気合を入れ直して出発、少し走ってから朝食にすることにしました。早朝はさすがに交通量も昨夜ほどではなくスムーズでした。それでも、東京に近づくにつれて自然と交通量が増加するものです。首都高に入ってからは、度々渋滞に巻き込まれながら、さらにカーナビがあるにも拘らず、どこかで道を間違えたか、予定より遅れて10時半、ようやく世田谷区奥沢の息子の新しいマンションに到着。元気な顔を見て一安心。お昼過ぎまで色々話が出来ました。昼食後は、上野の国立博物館で開催中の恐竜展を見ることに・・・・・上野公園は修学旅行生などでごった返していました。

17時、宿泊予定の新宿ワシントンホテルに到着。こうして東京都内を車で自由に走れるのは、まさにカーナビのお陰です。ホテルの窓からは東京都庁舎が見えます。

新宿ワシントンホテル19階から眺める東京都庁舎
新宿ワシントンホテル19階から眺める東京都庁舎

特別支援学校開校記念・小野市議・東京へ

10時、酒田特別支援学校開校記念式典に出席。本来であれば4月の開校にあわせての記念式典が予定されていましたが、3・11東日本大震災発生でのびのびになっていたものです。これまでは鶴岡養護学校などまで通学していた子供たちが、酒田市内に解説されたことで、より安心して学校生活が送れるものと思います。相馬周一郎県教育長、半澤豊校長先生、県議会議長代理、酒田市長、PTA会長とご挨拶が続きました。

相馬山形県教育長開校に当たって式辞述べる
相馬山形県教育長開校に当たって式辞述べる

 

酒田木遣り保存会祝いの歌披露
酒田木遣り保存会祝いの歌披露

 

ロータリークラブの皆さんがお祝いの太鼓を披露
ロータリークラブの皆さんがお祝いの太鼓を披露

 

15時半、山形に向け移動。18時半、大手門パルズにて開催の小野仁山形市議会議員の事務局研修会に出席。市川昭男山形市長が来賓挨拶を述べられました。懇親会の始めに私から乾杯の発声を申し上げました。小野市議の益々のご活躍、市川市長の必勝を祈念しての乾杯とさせて頂きました。

19時半過ぎ、中座させていただきまして、女房殿と二人自家用車にて東京に向け出発。仮眠をとる時間を24時頃目処に、のんびりと走れる所まで走ることにしました。山形道から東北道に出ると、車の量がとんでもない状況でした。特に大型トラックが多く驚いてしまいました。車での東京行きは良くする方なのですが、こんなにトラックが多いのは、震災の影響なのでしょうか。また、あちこちで事故に遭遇しながら安全運転第一でゆっくり走りましたが、目標の24時には程遠い、23時前安達太良サービスエリアにて仮眠に入りました。

散髪

今日は公務等なく少しのんびり気分で新聞読んだり、本を読んだり、ホームページの整理をしたりの一日にしました。途中15時、3区事務所にて街宣車更新の打合せ、現在の街宣車が間もなく車検時期を迎え、相当な金額をかけて修理しなければならないことが分ったために、更新することになったものです。本当に長い間、活躍してくれた現在の街宣車に感謝の心を込めて、今度の日曜日と車検最終日の14日に感謝の街宣を行ないたいと思い、手続きをお願いしました。帰りに床屋さんに立ち寄り散髪をしました。日に日に増える白髪と、日に日に衰える髪の毛の強度が気になるようになりました。まあ、年を考えるとやむを得ない事態であることは言うまでもありませんが。