10時半、飛鳥伝兵会館にて知人の96歳でご逝去されました母上のご葬儀に参列。ご長寿をまっとうされましたことに心よりの敬意と、ご冥福をお祈り申し上げました。
14時、庄内総合支庁にて既に提出されております、遊佐町日光川関連の要望事項に関します取り扱いにつきまして、担当課よりヒアリングをさせて頂きました。これまでもしっかりとご対応頂いているようでありますし、なお今後も厳しい財政状況の中ではありますが、緊急を要する優先順位は理解申し上げながら、対応をお願い致したところでございます。
10時半、飛鳥伝兵会館にて知人の96歳でご逝去されました母上のご葬儀に参列。ご長寿をまっとうされましたことに心よりの敬意と、ご冥福をお祈り申し上げました。
14時、庄内総合支庁にて既に提出されております、遊佐町日光川関連の要望事項に関します取り扱いにつきまして、担当課よりヒアリングをさせて頂きました。これまでもしっかりとご対応頂いているようでありますし、なお今後も厳しい財政状況の中ではありますが、緊急を要する優先順位は理解申し上げながら、対応をお願い致したところでございます。
10時、予算特別委員会に出席。3日目最終日2名の質疑が行われました。何れも自民党会派のベテラン議員で、さすがに説得力がある質疑でした。
12時30分、県庁講堂にて開催の私学振興議員連盟総会に出席。お弁当を頂いた後、総会となりました民主党政権になって、高校の無償化が実施されましたが、私学においての対応をさらに充実させる必要があるとの決議を採択致しました。
午後は、執務室にて書類整理や東京の議員事務所と日程調整など。夕方、民主党県連に顔を出してとりあえず、今年一年の御礼をお伝え致しました。
18時、会派懇親会に出席。今年一年の反省と新たな年が県民皆様方、3・11被災者の皆様方にとりましても笑顔が取り戻せる年になりますことを、肝に銘じながら和気藹々、懇親を深めさせて頂きました。
数日前からの微熱がぬけず、山形のホテルで昨夜も熟睡できない状況で朝を迎えました。それでも何とかシャワーを浴びて、朝食をしっかり頂き、9時過ぎには会派会議室に出勤。10時からの会派総会に出席しました。議論が長引き12時近くになったところで終了。私は早速高速道にて酒田へ向かいました。13時30分からの民主党3区総支部事務所にて、1月7日開催予定の和嶋未希衆議院議員新春の集いについて協議。大先輩たちから3区の幹事長として、和嶋衆議院議員を支える県議会議員として、しっかりとした自覚を持って対応するようにご指導を賜ったところです。言われるまでもなく私の役割は、まさに次期総選挙に向けた準備を今から構築することだと、改めて自覚いたした次第です。15時半終了後、自宅にて欠席申し上げる会にメッセージを作成する作業をこなし、17時半には山形へ向け出発しました。
11時、余目梵天にて開催の最上川下流農業水利事業完工式典・祝賀会に出席。11年間にわたる最上川下流域の農業水利事業(主に経年補改修)の完成を喜び合いました。
14時、平田総合支所建設産業課にて、かつて飛鳥に三つあった飛鳥沼の一番上沼、現在は住宅地になっているところの除雪関係についてご要望をさせて頂きました。
18時、故長谷部紳宅にお邪魔して、ご永眠から1年目のご仏前に線香を手向けさせて頂きました。その後は、ふれあい茶屋つたやにてビアライゼ例会となりました。
5時起床、5時半女房殿と一緒に自宅出発。民主党山形県連の被災地ボランティア活動のため宮城県東松島市に移動。
9時半、東松島市大曲市民センターに到着。本当に気持ちがよい晴天に恵まれ、震災後初めての市民まつりが始まりました。最初は新たなまちづくり計画について、東松島市当局から計画の説明が行われました。そして、市民の皆様方から多くのご意見が出され、中々先が見えない不安なお心が、伝わってくる切実なご意見を拝聴いたしました。
10時半過ぎからは、山形市で障がいを持つ方々と玉こんを販売するNPO法人「こんにゃく道場」の皆さんと一緒に、山形名物玉こんにゃくの炊き出しサービスを行ないました。行動を共にさせて頂いております山形大学人文学部震災ボランティアサークルの皆様方は、蔵王そばを宣伝する仲間の方々と、山形のそばを炊き出しサービス、500名分準備したものが、12時頃には全てなくなるほど喜んで頂きました。13時過ぎには帰路につきました。
17時過ぎ、遊佐町時田町長後援会総会に少し遅れて出席。和嶋衆議院議員、県議会議員5名など多くの来賓に混じって、私くしも挨拶の機会を頂戴致しました。次の予定のため乾杯の後中座。酒田市国体記念体育館に移動。明日開催の「第20回庄内オープン綱引大会」準備を進めるスタッフに御礼のご挨拶を申し上げました。
19時半過ぎ、酒田市内山居倉庫近くのお店で、東北各地から駆けつけて下さった綱引大会審判員の皆様方の懇親会にご挨拶申し上げました。こうしたご協力がなければ20年と言う積み重ねはなかったものと思います。心から感謝です。